表現を通して釜ヶ崎と向き合う

山納 扇町ミュージアムスクエアは、小劇場のメッカのような場所になっていました。

当時の芸術は、今よりももっと「芸術のための芸術」という考えに寄っていました。ある状況の中で自分は何を見るのか、何を表現するかが求められ、社会のためというより、ある高みを自分たちがつくっていくのだという雰囲気がありました。僕はこうしたところの出身で、アーティストとどう関われるのかということを追求していました。

2003年に扇町ミュージアムスクエアが閉館され、もう一度、表現者たちと何かできる場所を作りたいと、2004年に「common cafe(コモンカフェ)」をはじめました。common cafeは、店主が日替わりで変わるカフェで、夜はライブやトークイベント、週末には演劇の公演などのイベントを開催しています。

ミュージアムスクエア時代から関わりのあった演劇人たちにとって「好きなこと」ができる表現空間やライブ空間を作ったのですが、僕自身は、かなり長らく「假奈代さんの地平」というのでしょうか、「いま目の前にいる人たちとこれをやると面白い」というところに行けなかったという記憶があります。

ミュージアムスクエアをやっているときは、ここが一番関西で「尖っている」場所、例えば、芸大に行っている学生達が「いまここに行かないとヤバい」と思えるような、そんな場所をつくろうという意識を背負って走っていました。

上田 「エッジ」ですね。ある意味、ココルームは違うエッジのほうに行ってしまったんです。

大阪市とは2003年から10年の約束だったのですが、いろいろなことがあって5年でフェスティバルゲートを追われることになり、どこに行ってもよかったのですが、私は20メートル離れた西成区の釜ヶ崎と呼ばれる地区の端っこにある動物園前商店街の元スナックを借りて、そこをココルームにすることにしたんです。釜ヶ崎に移ったのは2008年です。

なぜ釜ヶ崎を選んだのか。2003年にフェスティバルゲートに入居したのですが、建物の外に一歩出ると、アルミ缶を積んで走る自転車、ダンボールを積んだリヤカー、そうした姿をたくさん目にしました。それを見て、自分が働いていることとそのことの遠さを感じたわけです。だからといって、私がいま始めた仕事をやめて、ホームレスの人たちと関わるのかと考えたとき、そうではなく、表現という仕事を通して関わることをしたいと思ったのです。

ホームレスという言葉がアート界や大阪の人にも、ちょっとタブーな状況でした。そのタブーさが気にもなってました。表現というものを取り扱っている中で、こうしたことを一緒に考えたり、話したりすること自体が、アートが持つ「ずらして考えていく」ことになるのではないかと思いはじめました。

そう考えていたとき、ちょうど『ビッグイシュー』の創刊(2004年)があり、『ビッグイシュー』を知らせて手にとってもらうようなイベントをやってみようと、賛同するアーティストを集めて企画しました。イベントの当日、私は、あまりお客さんは来ないだろうと思っていたのですが、ふたを開けたら、たくさんの人が来てくれました。

一回きりでなく、続けようと思った時に、同じことをやるよりも、ホームレスと呼ばれる人が、自ら舞台に上がって表現をする姿があったらすごくすてきだなと思ったんです。でも、誰が自分をホームレスだと名乗って人前に立ってパフォーマンスするか…、とても難しいことですよね。えらいこと思いついちゃったな、と自分でも思いましたね。

でも、強く思ったら願いはかなうもので、阪神大震災で職を失ってホームレスになったピアニストや、俳句や詩をつくっているホームレスの方とか、ホームレスから生活保護に移られて居場所の中で紙芝居の劇を始めたグループとか、そうした人たちに次々と出会って出演交渉をし、『ビッグイシュー』を応援するイベントの舞台で発表してもらうことになったんです。

こうして、ホームレスの方のマネジメントもすることになりました。舞台に出てもらう約束をすると、本番まで元気でいてほしい、失踪や餓死をしてもらいたくないわけで、本当にどうやってこの日を迎えてもらうかということです。依存されても困るので、うちに来て手伝いをしてくれたらまかないご飯を一緒に食べてもらうとか、いろいろ工夫をするわけです。

一度、私たちがまかないを食べている最中にたまたま来はったんです。でも、約束をしていたわけじゃないし、食べてる最中で今さら分けることができなかったんですね。とたんに私たちは食事の味がしなくなってしまいました。自分たちだけが食べているという状況になってしまったわけですよね。

今だったら、もう一声「今から手伝ってくれますか」と聞いて、「ちょっとですけど、食べますか」と言えばよかったんやなと思うんですが、あの時は、どう声を掛けていいのか分からなかった。そんなしょうもないことなんだけれど…、こうした本当に小さなことを積み重ねながら本番を迎えました。

作品も彼らと過ごした時間も本当にすばらしかった。いっぱいいろいろなことを教えてもらったし、けんかもたくさんしました。でも、すごくいい経験をいただいたんですよ。こうして、ココルームは釜ヶ崎にぐっと魅かれていくわけです。

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