〈後編ー他者を迎え入れる、圧倒的な懐の深さと覚悟〉
場を司っている人の才覚なのか、懐の深さなのか…「場の度量」とはどういうものか、それはどのようにして身につくのか、山納さんと上田さんがご自身の言葉で語ります。
コミュニティで生活するセンスと技術
山納 実は、長らくココルームの扉を開けるのに躊躇がありました。ココルームでは、「現実」というものに直面することになりますよね。その心の準備が自分にできているのかと。いま假奈代さんが見ている世界に、僕は行けるだろうかと感じていて…、去年、久しぶりに伺いました。
上田 そんな思いがおありだったのですね。全然大丈夫ですけれど(笑)。
素っ頓狂な場をずっとやっていて、そんな構えさせてしまうとしたら、それはとても力不足だったなと思います。
山納 僕自身が開いているようで、まだそこまでよう行かん、といった感じがあったのだと思います。
上田 そういうのってタイミングというか。本当に、それは熟したということなんですね。
山納 『つながるカフェ』にも書きましたが、3年半前に、兵庫県尼崎市で「尼崎連続変死事件」という凄惨な事件が起こりニュースになりました。尼崎はガラが悪い街とずっと昔から言われてきたけれど、ここで何が起こっているのかが気になり、自分のフィールドワークとして尼崎に通い始めました。
尼崎は、鹿児島、沖縄、朝鮮半島の人が住んでいる街です。大阪の大正区が有名ですが、尼崎には、宮古島、鹿児島の奄美、喜界島、沖永良部島、徳之島など、島ごとのコミュニティがあるんです。沖縄料理屋だったら入りやすいので、ガラガラと入る。するとみんなから一斉に見られるんです。そんなことを3年半やっています。
韓国の人の店や、同和地区と呼ばれるところの飲み屋に行って馴染んで帰ってくるんです。アウェーすぎるアウェーなので怖いと思っていくのですが、もう100回以上扉を開けて「兄ちゃん、何しに来てん、帰り」と言われたことが一度もないんですね。こういう場所は、どうもそうではないらしい。
ああいうところに行ったら怖いという固定概念のある場所ってありますね。煙たがられているような人は確かにいるのです。でも、こういうところでは、いかにややこしい人と距離を置いて付き合うか、コミュニティを大事に日々暮らしていくことのセンスや技術がすごいのです。たぶん釜ヶ崎も似たようなところがあると思います。
店の中でおばさんが若いやつを諭すように、「お前のとこの子供、まだ小さいんやろ。あんなやつと付き合ったらいかんで」という会話をしているんです。よっぽどその辺の飲み屋よりもうまく機能しているサード・プレイスなんだなと感じます、すごいなと。 そんなこともあって、だんだん慣れてきたんじゃないでしょうか。
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