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〈前編ー他者を迎え入れる、圧倒的な懐の深さと覚悟〉

第2回目の著者に聞く!では、実践を通して場づくりの可能性を追求する山納さんと、大阪の釜ヶ崎で社会的包摂の場を自ら立ちげ日々奮闘している上田さんに、場づくりの方法をお聞きしました。
山納さんは、「若い人たちが集まりいろいろな人と関わって伸びていくための場もあるが、放っておくと落ちてしまう人たちや誰かが支えないといけない人たちのための居場所も必要だ」と言います。けれども、後者は、相当なレンジの広さや懐の深さがないとできない。どうしたらいいのかを見つけたい、と上田さんを取材。そして、「上田さんの圧倒的な他者を日々迎え入れる懐の深さと覚悟を、みなさんに知ってほしい」と今回のトークが実現しました。
上田さんは、このトークで「目の前のことを正直にやってきた」と語ります。山納さんの問いかけにゆっくりと丁寧に答える姿には、真っすぐな強さがありました。


“喫茶店のふり”をすることで社会との接点を持つことができた

山納 洋:僕が上田假奈代さんとお会いしたのは2000年です。当時、僕は「扇町ミュージアムスクエア」という劇場や映画館、雑貨店、カフェ、ギャラリーがある複合文化施設で「扇町Talkin’ About(トーキン・アバウト)」というサロンを始めました。一種の場づくりです。そこで「ポエトリーリーディングの夕べ」という会があり、毎月お越しいただいていたのが上田假奈代さんでした。

2003年、扇町ミュージアムスクエアは閉館しましたが、ほとんど同じタイミングで假奈代さんはココルームという場を立ち上げました。

上田假奈代:図らずも大阪が動き出すときだったかと思います。大阪にあるいろいろな芸術活動がちゃんと見えるようにしていこうと、大阪市が、新世界にあったフェスティバルゲートという巨大商業施設の空き店舗を活用して、現代芸術拠点形成事業(「新世界アーツパーク事業」)をはじめました。2002年に始まり、現代音楽、コンテンポラリーダンス、メディアアート、そして現代文学である現代詩をやっている私に声が掛かりました。

その条件がユニークで、家賃と水道光熱費は行政が負担するので、あとは自分たちで何とかするというものです。私は詩人として表現を通して社会に参加したい、場を持つことを通して仕事をつくりたいと野心に満ちていて、「はい」と返事をしてしまいました。でも、家賃・光熱費を行政が負担するということは、私は税金をあずかったんだと、これは参ったと思ってしまい…、どうしようかと考えました。

アートが好きな人って、アート好きで集まる傾向がありますね。アート好きのためではなく、いろいろな人が集まることができて、集まったときに自分の気持ちを語り合ったり、語られたものを受け止めたりという表現の場がとても大事だろうと思いました。こうした場をつくることも芸術振興に資するのではないかと考えたんです。それで、いろんな人、アートが好きじゃなくても来てもらえるよう、“喫茶店のふり”をすることにしました。

人件費や事業費がないので、喫茶店をすることでちょっとした日銭が回る。それから、スタッフとまかないご飯を作って食べることにして、来てくれたお客さんも誘って、お金はいただくのですが、一緒に食卓を囲むという“喫茶店のふり”を始めたんです。

ご飯を食べながら話をすると、自分のことや悩み事もポロっと出てきたりすることがありますよね。当時はニートという言葉がはやるちょっと前で、そういう悩み事を抱えている若者が多かった。また、場所柄、しんどい40代、50代の中高年の方もいらっしゃる、ちょっと変わったカフェだったんです。

障害をお持ちの方も、ヘルパーさん達と一緒によくいらっしゃるようになりました。障害を持った方がたくさん集まってカフェでクリスマスパーティーを開いた時、食べたり飲んだり、いろいろな出し物をする中で、カラオケで歌を歌われました。発語が不自由で歌えないのです。「あーあー」「うーうー」という歌声です。

ココルームでは、これまでライブハウスではできないような不思議なパフォーマンスやライブ、ギャラリーでは展示できない催しなど、ジャンルを超えたものを敢えて開催してきました。結構いろいろなものを見て聴いているはずなのですが、障害を持つ方の歌っている姿に、私は、本当に心が打たれたんです。

その時、ヘルパーさんをとりまとめてくれた方から聞いたことを覚えています。障害を持った方が何かをしてもらったときに「ありがとう」と思って、それを伝えようと「ありが…」くらいまで口に出すと、聞いている方は、「ありがとう」と言おうとしていることが分かってしまって、その言葉を途中で引き取ってしまう。そして、お返しの態度をしてしまうことがあります。自らの表現が、最後まで言い切れずに終わってしまったり、なかなか言い切れない部分をお持ちなのかもしれません。でも、だからこそ、歌いきるという姿にすごく切実な力があって、とてもびっくりしたんですね。

こうした障害を持つ方を通して、彼らが置かれている環境を知らなかったことに気が付き、障害を持っている皆さんとヘルパーさんと一緒に街に出かけていく企画を考え、舞台公演やチンドンパレードをはじめました。“喫茶店のふり”をしていたことで、こうした社会との接点を持つことに思い至ったというわけです。

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表現を通して釜ヶ崎と向き合う