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立場の違う人たちが同じ空間に無理なくいるから、自然な出会いがある

坂倉 始めに、「芝の家」がどんなところかご紹介したいと思います。芝の家は、建物が道に面していて、縁側のある50平米ほどの小さなコミュニティスペースです。「ここは21世紀の東京か?」と思ってしまう昭和の外観です。慶應大学の近く、赤羽橋と田町駅の間に位置しています。建物の中には、ソファがあり、卓袱台があり、お茶コーナーがあり、特になんてことはない、本当にいろいろな人が来て、おしゃべりができるような場です。

港区の芝地区総合支所という行政が主体となり、慶應義塾大学と連携しながら運営しています。2008年、当時私は慶應義塾大学で専任講師をしており、港区と一緒にこれを立ち上げました。

なぜ港区がこうした地域コミュニティを始めたかというと、都心部なので子どももお年寄りも増えているのですが、放っておいても顔見知りになるわけではない。ちょっとでも近所に顔見知りを増やしていかないと、安心して暮らせる地域にならないのではないかと考え、実験的にまちの中で人が集まる拠点を、大学との共同事業で作ってみようということになりました。

今も私が責任者として関わっているのですが、実際の日々の運営は、現場にいる事務局の当番にすべてお願いしています。始めた人がいなくなっても成立している珍しい事例です。それは、私がというよりも、やはり今の当番の人たちがすごくこの場を大切に日々運営してくださっている仕組みがあるからだろうと思います。

芝の家では、毎日何かイベントをやっているわけではないんです。週5日間オープンしていますが、特に何をやるとは決まっていない。いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。居場所として運営をしているんですね。お茶を飲んだり、おしゃべりしたりするのですが、特に何かイベントがあるから来るというわけではない。

にもかかわらず、すごい。すごいと自分で言うのもおかしいですが、1日平均すると40人弱の方が見えています。子どもが3割、お年寄りが1.5割ほど、年齢層は4カ月ぐらいの赤ちゃんからから90歳以上の方まで、いろいろな方が来ます。小学生なら学校が終わったら遊びに来るとか、買い物途中の方、近くに住むおじいちゃん、おばあちゃんは、ちょっと寄って縁側に座ってお茶を飲んだり、おしゃべりをしたりする。

山納 中に入らないで?

坂倉 そうですね。あまりにも近すぎて、わざわざ中へ入るほどでもないといった感じです。とはいえ、縁側から覗いて顔見知りの人や赤ちゃんがいると、靴を脱いで入ってきて赤ちゃんと遊んだり。こういうことが普通に起こっている場所です。都心部にあって周りに会社がたくさんありますから、近所で働いている会社員の方がお弁当を持ってお昼ご飯を食べに来ることもあります。

子どもしかいない場所でもないので、遊んでいるうちに大人と何か一緒にやったり、いわゆる多世代交流は普通に起こります。けれども、芝の家は、多世代の交流の場所ではないので、それを求めたりはしません。むしろ、子どもは子どもがいたいようにいられるし、おじいちゃん・おばあちゃんもいたいようにいられる。いろいろな違う立場の人が同じ空間に無理なくいる、ということに心を砕いています。そうすると、小さな空間なので、何かあったら勝手に関わるきっかけが生まれる。その方がご本人にとって本当の自然な出会いなのではないかと思います。

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