競争しなければいけないとき、なるべく敵がいないところに行くのは、逃げではなくて戦略ですから ー山田ルイ53世

田中 結局、男爵の今があるも、生き延びてきたということですね。それはすごく大事なことなだと思います。
僕の場合も、男性学が以前より注目されて、取材をしてもらえるようになったのですが、何で男性学をやっているんですかと聞かれたとき、本音ではないインタビュー用のものがあるんです。「普通の男性の生き方が1つしかないことが疑問でした。就職活動をするときに、バンドをやっていたヤツ、演劇をやっていたヤツとか、まじめなヤツもいたけれど、みんなが同じ髪型、同じ髪の色、同じスーツを着て、みんながみんな就職すると言い出して不思議だった。ほとんど全部の男子がどうしてそんなふうに思うのかを研究したいと思いました」。

山田 のどごしのええやつ(笑)。

田中 「引きこもりの時代は無駄じゃない」みたいな話ですよ。
実際は、大学院に進学したときに、「お前は今のままでは絶対埋もれるから、ジェンダーの中でも男性学というのをやったら目立つから」と指導教授に言われました。キャラ作りです。

山田 ここは競争がないぞと。その時、同じく僕もシルクハットをかぶったんですね(笑)。

田中 結果的には「エッジを効かせる」ことになった。
でも、人と同じことをやらないのは、正直に言えば、僕は怖かったです。今から15年ほど前ですが、学会などで発表すると、「これからは男性学が大切ですよね」とみんなが言ってくれるから、本当に期待されていると思っていた。5年、10年たって社交辞令だったと気づいたんです(笑)。

山田 陰で、「先生に言われて、あんなマイナーなやつやって」と。

田中 「男性学を専門にするなんて負けだろう」と思われていたでしょうね。
人と同じことをやらないのは怖いし、誰からも支持を得られないですが、やっていく中で、結果的に、先ほど言ったインタビュー用の理由が、本当になっていったんです。
他の人は興味を持って研究していなかったけれど、言われていたら不思議で、やり甲斐のある学問領域で、たまたま今の社会状況ともフィットしてきた。10年前だったら、イースト・プレス、講談社、祥伝社といった出版社から男性学の専門家が本を出すなんて、考えられなかったことです。

男性学を専門にするという決断を自分がしたこと自体は勇気が要ることだし、誰からも本当には支持もされていなかったわけですが、自分なりに関心を持って続けたことは、意味があったのではないかと思うんです。

山田 負けたときに出てくる道はありますからね。
僕も漫才をやっていて、僕らがそれこそこういう格好をする前です。特に関西系の漫才師の方などは、「どうも~」と言って出てくるツカミの部分や、いわゆる定番のネタがあって、その精度を高くするのがかっこいい、逆に言うと、そこから抜け出されへんみたいな状況やったんです。
その時に、徐々にシルクハットをかぶり、髭を生やしみたいなことをしていると、世間の皆さんは、だんだん汚れた、本道ではないコスプレキャラ芸人になっているわ、と見ていたかもしれませんが、当時の気持ちを振り返ると、そこには若干誇らしい気持ちもありましたよ。「みんながせえへんことやんねや」というね。ここのルールから出られた感、みたいなのが、やはりありましたもん。

田中 ひぐちさんと一緒に、人と違うことを作っていかれたわけですよね。衣装を着るとか、ワイングラスを持つとか。「ルネッサ〜ンス!」というフレーズが出たり。

山田 一回売れることができたということです。結果ね。

田中 いろいろな競争をしていかなければいけないときに、自分たちなりに考えて工夫してみるとか、こういうやり方があるとか、人がやっていないところだけれど続けてみるということは、すごく価値があることだと思います。

山田 それは大事でしょうね。なるべく敵や競争相手がいないところに行くというのは。それは全然逃げではくて、戦略ですから。

田中 ある意味、セコイとか思われるかもしれないですが、そういう考えは本当に大事なことだと思うんですよね。

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自分が“何者か”がある程度絞れてきたら、大きく当ててやろうと思わず真面目に取り組んでいくことは、すごく大事だと思います