民間に任せる大阪のDNA

写真でみる北浜テラスは、中之島を望む川べりに洒落たレストランが並ぶ開放的な水辺スポットですが、その背景には、お二人の熱意と粘り強い交渉もさることながら、法改正や新たな運用スキームの構築に取り組んだ大阪府や大阪市の柔軟性も水辺プロジェクトを大きく推進させた大きな要因だと言えます。

これは、大阪という地域性によるものなのでしょうか? 泉さんは、「もちろん橋下知事・市長時代にプロジェクトが進んだとも言えますが、大阪にはこうしたDNAがあり、それは他の市町村とは違うと感じます」と言います。


泉:
おそらく、大阪は古くから治水事業が進んでいて、護岸の耐震改修も整備できているため、多少規制を緩和しても安全性に関する影響が少ない。危険を回避する措置がしっかりとられていれば、許可してもいいだろうという結論になりやすい。また、おもろそうなことはまずやってみようというDNAがある。だからこそ、2009年の協議会への占用許可につながったと言えます。

山根:「由らしむべし、知らしむべからず」と言いますが、大阪の場合は、それだとうまくいかないんじゃないでしょうか。市民が東京よりはるかにうるさいと思う。
役所が調整するより民間に任せたほうがいいんじゃないの、というところが役所側にもあって、先に話題に出た水上安全協会もそうですよね。
ですから、私たちのような人間にとっては、とてもありがたい(笑)。



アイデアを実現しようという個人の強い熱意があるから、彼らに任せようという結果になったのだと思います。最後に、会場から、「こうしたお二人のパッションはどこから湧き出てくるのでしょうか?」という質問がありました。


山根:
やっぱり実現したいという一心です。「水の都 大阪」と言われているのにずっとブサイクだったんですよね。だから、それを実行しようと。東京への対抗心もあって、大阪がよくなってほしいという思いです。

泉:僕は、大学から大阪にきて、最初は水辺に全く興味なかったのですが、2002年の「リバーカフェ」の実験に関わるようになって、やってみたら結構気持ちがいい。みんなも水辺っていいじゃない、と言いだした。
僕は、大阪の川辺はほとんど歩いて回っていて、北浜は、一番ポテンシャルが高いと思ったまちだったんですね。どうやって水辺を良くしていこうかとみんなで話をしていて、わからないからいろいろな方を訪ねて教えてもらうじゃないですか。どうやったらテラスができるんですか、どうやったら船を借りられるんですか、と。河川法なんて初めは全くわからなかったから。
いろんな人に聞きに行くと、「いいね、それ!」とみんな面白がって盛り上がっていくんです。それで引くに引けなくなっちゃって(笑)、そのうちに、だんだんと自分のモチベーションも上がってきたというわけです。


トークのあとの懇親会でもさらに突っ込んだ質問があり、また、参加者同士の交流も行われ賑やかに会は終了しました。

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