質問2 人が集まる場所には、居心地が良くて人が知り合いになればなるほど場が閉じていくことがあると思います。常にそこに誰かが来られるようオープンにすることと、閉じていくこととのバランスをどう取っているのでしょうか?

坂倉 本当にご指摘のとおりです。コミュニティというのは、とにかくメンバーシップの枠ができる、境界ができるということが本質だと私も思います。だから、閉じつつ開かれていることが、ポイントなのだろうと思います。

芝の家では、安心して関わりながら雰囲気をちゃんと作ろうと、大人が場を見ることが大切だと言っています。

もう一つすごく大事にしているのが、仲良しクラブを作らないということです。これは、新潟で「うちの実家」という常設型の地域の居場所の代表である河田珪子さんに教えていただいたのですが、「うちの実家」のお当番は、仲良しクラブを作らない、いない人の話をしない、それをちゃんとできる人だそうです。

やはり仲良しクラブになっていきがちで、お当番の人も、全く見ず知らずの人が来るよりも、気心の知れた人が来た方が楽しいし、楽です。だから、初めての人と馴染の人が来たときに、どうしても馴染の人の方に「あ、何々さん、いらっしゃい」と言ってしまう。絶対にそれをやってはダメ。なぜかというと、初めて来てくれた人はどう思うんですか。「ああ、常連さんのことはこんなふうにもてなしてくれるけど、私のことはそうしてくれないんだ」「もう二度と来るものか」と思うかもしれません。これはすごく気を付けていることです。

山納 以前書いた『カフェという場のつくり方』でも少し触れています。

場であれば、初めて来て受け入れられなくて、「もう二度と来るか」という人を作ってはだめですね。でも、飲食店経営であれば、今度いつ来るかわからない人を受け入れるよりも、定期的に来てくれる人がいてくれたら経営は成り立ちます。

大阪では、立ち飲み屋に毎日寄る人のことを「出勤簿を押しに行く」という言い方をすることがあるのですが(笑)、出勤簿よろしく毎日来て、お金を使ってくれる人は有難いお客さんですし、そんな人が何十人かいたら、他に誰も来なくてもお店は持つんです。だから閉じがちですが、それは経営としては全く悪いことではない。

でも、喫茶店で扉を開けたら、一斉にこちらを見るといった怖い店って、ありますよね(笑)。カラオケ喫茶という業態はそっちに行くんです。皆が集まって毎日歌って、「◯◯ちゃん、今日は来ないね」という雰囲気がどんどん生まれていくんですが、それをやってしまうと、その人たちが卒業されたり、何らかの理由で来られなくなったときに、新しい人を迎えられる体制を取っていませんから、商売として段々しんどくなってしまいます。

「店主がなまける」というのでしょうか、新しい人を迎える技術を身に付けられないまま、常連客商売で回っていて、一見に対して何のケアもなく帰してしまったりすると、飲食店としてもゆくゆく持たないですよ、と本に書きました。

ただ、もう一つ別に、「プロジェクトが進んでいく」場合、例えば、六甲山カフェのように、話し合いを進めながら、いざ実現していくときは閉じざるを得ない。集会に、毎回初めての人が参加し、その度に一から経緯を説明しているとプロジェクトは進みません。そうなると、メンバーのミーティングというスタイルに変わっていく。プロジェクトに対して責任を取る人、出資をする人で閉じていくことが起こります。目的に向かって進んで行くときには閉じ、それだとどうも視野が狭くなってしまいそうだというときには開く。

坂倉さんからも、いかに閉じて、いかに開くかというバランスの話がありましたが、場の目的や性格によって、たぶん変わってきます。その場に応じて使い分けていくことがきっと大事で、とても難しいことなのだと思っています。

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3 コミュニティスペースは、ビジネスとして成り立つか?